聴神経腫瘍の治療体験

体験談その1

概要(2007.11 月 h さん)

2006年秋に治療を担当させていただきましたxx代女性から治療体験記をいただきました。
中型腫瘍(10-15mm)による聴神経腫瘍により平均聴力32デシベル、御音明瞭度90%の聴覚低下がありましたが、全摘出、直後から顔面麻痺なし、術後聴力37.5デシベル、単語理解の明瞭度85%で退院されました。その後も1年あまり再発なくほぼ同じ状態でおいでです。

経過

005.3.○日 発病「突発性難聴」からMRIで「脳に腫瘍ができています。」と診断が出ました「闘病している母よりも先に死ぬことはできない。母を安心して療養できる施設に転所させることが先決」と考える一方、「病気になる前に、主人と意思の疎通を図っておくべきだった」と後悔しました。虎ノ門病院・耳鼻科にて「聴神経腫瘍」と診断されました。脳外科に回されたら、直ちに手術になり、髪の毛を剃られ後頭部を開頭され、顔面麻痺の後遺症、リスクの高い説明を受けました。耳鼻科の先生とは意思の疎通ができず、自分の病気内容が把握できず、消化不良でした。私は、聴力を全く失うが、リスクの低い耳鼻科の手術を希望しました。「中途失聴者・難聴者の集い」に出席して、手話・読話の経験もしてみました。2006.4.21 腫瘍が大きくなり、とうとう脳外科へ紹介されました。待合室で「医療用かつら」のパンフレットで、どのかつらが似合うのか思案していました。「お待たせしました」とドアを開けてくださったのは中富先生でした。初対面でしたが、この一年間の不安を一気に話しました。病気についての説明、治療方法を手術映像を用いて、熱心に説明してくださいました。私は初めて、自分の病気がどういうものかを知りました。「手術をするとなると、先生は若いのかな・・・?」既成観念でもっと年齢のいった経験のある先生の方が・・・と考えました。しかし、二回三回と診察を受ける度に、その不安は消えました。手術内容、手術例、手術の件数を説明される先生には自信と熱意を感じました。福島先生(神の手といわれている名医)と、上山先生(福島先生が自分の脳手術を願いたいという名医)に師事されたことに先見の目があると感心しました。セカンドオピニオンをお願いしました。一瞬、先生は真顔になりました(?)。先生に不信感を持っていると思われたのかな(?)。この病気は発症率が低く、専門の先生が少ないこともあり、信頼できる先生だからこそ、直接紹介をしていただきいとお願いをしました。手術に向かって、私自身落ち着かせる為でもありました。名古屋市立大学・耳鼻科の村上先生を紹介いただき、村上先生も中富先生と同じ見解であり「中富先生は優秀な先生ですよ」とおっしゃってくださいました。手術に向かって中富先生は「心配はいらない。大船に乗った気持ちで手術を受けて欲しい」「質問があったら何でも言って、不安を抱えたまま家に帰らないで欲しい」と言ってくださり、不安なことをすべてお話をして、一つ一つ答えていただいて、希望を持って手術に望みました。

2006.10.○日 手術へ

先生の「がんばろう!」の一言を聞いて安心して眠りました。ICUにて麻酔が覚めてきた頃、家族のざわざわした声が聞こえる中、中富先生の「全摘出、麻痺なし、聴力残し」の力強いはっきりした言葉が聞こえてきました。無事手術が終わったことが分かり、本当に本当に嬉しく、感謝の気持ちで一杯でした!術後はめまい、ふらつき等等の後遺症はありましたが、先生が何度も何度も病室にきてくださったことが、一番心強かったです。入院中、隣のベットの人の一晩中うなされる声で睡眠がほとんど取れなかったので、耳栓を買って着けました。しかし、良く考えてみれば、聴力が残っているからこそ、隣のベットの人の声が聞こえていたのであり、聴力回復を願っているのに何故耳栓をするのか?と思いやめました。

2006.11.○日 退院説明の際、家族と共に私の手術中の映像を見る

こんなにも大変な手術であったことを改めて認識しました。と同時に感動で胸が一杯になり、席を立つことができませんでした。ベストな手術をしていただき、これからは私が回復に向かって一日一日大切に歩んでいこうと思いました。術後一年が立ち、聴力ははっきりと聞き取れないこともありますが、会話はできています。後頭部の筋肉の硬さはまだ残っています。病気の経過と今までの夫婦のあり方、そして母の介護問題が同時に提供され、人との関わり合いの大切さをも痛感しました。まさにこの病気はこの時期に、神様から与えられたものでした。診察中、なぜか先生との会話には笑いが生じてしまい、その中で、満足感と安心感と希望を持って家へ帰ることができました。また、私の家族に「みんな元気?どうしてる?」と気遣っていただき、感謝の気持ちで一杯です!ありがとうございました!!これからも宜しくお願い致します。

体験談その2

概要(2007.11 月 h さん)

2007年春に治療を担当させていただきましたxx代女性から治療体験記をいただきました。
すでに片側の聴力が20年前から消失されておられ、今回は聞こえが良いほうの耳に突然の難聴を患われ聴力が一時37デシベルまで落ち、精密検査にて小型腫瘍(10mm弱)がみつかました。この聴神経腫瘍により平均聴力24デシベル、御音明瞭度90%の聴覚低下がありましたが、全摘出、直後から顔面麻痺なし、術後聴力26デシベル、御音明瞭度85%で退院されました。その後も1年弱再発なくほぼ同じ状態でおいでです。K様は、片側の耳のみが唯一聞こえていいる状態でした。その耳に聴神経腫瘍ができ、全く音のない人生になってしまうのはこまるとお悩みになり、数多くの病院をへて私のところへおいでになりました。100%聴力維持を切望され、中冨の聴力保存・再建手術を選択されました。大変な手術でしたが、患者さまは無事に乗り越えられ、この手術を契機として完全失聴する恐怖から開放されました。

経過 2007年 ○月×日 手術が終わる

「終わったよ!」と先生の声がかすかに聞こえた。喉に小さな玉の様な引っかかるものがあり、吐き気を誘いました。ICUへ移動、カーテンで仕切られ、無機質で身動き出来ない状態で長時間いたので怖く感じました。やたらと喉が渇く。看護婦さんがうがいをしますか?と声をかけてくださり、氷の入った水、とストローをもらいました。「生き返った様にさっぱりし、何て親切なんでしょう。」と感謝しました。でも、直ぐ喉が乾き、何度かうがいをしました。看護婦さんの交代で次の看護婦さんにうがいのお水をお願いしましたが温いお水でした。、うがいをしないよりはとうがいしました。吐き気が襲い始め、喉が詰まってくる感じでげっ・とする度に喉に玉が増えて喉を圧迫し始めました。胃液を排出する管が苦しいと訴えると先生に聞いてくださって、管を抜いてもらいました。足のエコノミー症候群防止用が嫌な感じになってきましたが、病室に戻り楽になりました。元気を少し取り戻し、中冨先生の顔を見ると嬉しく思わず起き上がってしまった。先生に感謝。

ずい液漏れ

夜、高見先生が頭の管を抜いて下さった。後、耳がこもる様な感じがしました。翌日、やはり耳がこもる。午後からもっとこもる。夜、ずい液の袋を高見先生が取り替えてくださるとの事、10時半ごろになった。栓が堅くて外れなく袋の交換はできなかった。背中の針も痛かった。鼻から、鼻水が流れる。看護婦さんに話すと鼻を噛まないようにと言われた。翌日、耳のCTを取り、水が入ったようでした。夜、中冨先生が袋の交換と背中の針の差し替えをしてくださった。手際よく、安心、もう大丈夫と思った。先生の声は聞こえました。ずい液漏れらしい。連休中も先生は日に何度も励まして下さって、嬉しかった。

注※

聴神経腫瘍は下垂体術後と決定的に違い、聴神経腫瘍術後はどうしても術後1週間の頭痛、頚部痛はさけられません。また髄液漏れも一定の確率で起こります。これを最初から予防するようにあらかじめ先手を打った治療を受けていただいております。治療の副作用である、頭痛に対しては定時で鎮痛剤を用いていただいていること、髄液漏れに対しては、あらかじめ手術中に腰椎ドレナージを留置しておいており、術後の髄液もれを即座に発見し確実に治療しております。K様の場合もその一例です。

退院と退院後

看護婦さんも夜、昼、時間になると、ずい液の量を測って、優しく看護して下さって心から感謝しました。夜は深く眠れず、いつも意識があり、早く開放されたいと思い、だんだん精神的にいらいらとして叫びたく、こらえるのが精一杯でした。食事は出来るだけ頑張って食べました。耳の水も引き、背中の針も抜け、ずい液も止まり、退院する事が出来ました。今まで病気知らずの私でしたが、体力の回復が遅く感じ。慣れたはずの家の階段が思うように上がれません。ちょっと部屋を片付けると、動悸がして胸苦しくなって横になったりしました。そんな日がたびたびあり、気分転換に庭に出て外の空気をすいました。。こんな事はしていられないと、少しづつ距離を伸ばしながら外歩きを始めました。横になる時間もだんだん少なくなり、苦しい日もありますが、生活しています。耳鳴りはあり、重いものを持つとみみが詰まるように感じていました。よくなる日を信じてがんばっています。

前向きに病と向き合い、努力される姿がうかがえる、年賀の挨拶をいただきました!

2008年元旦
先生に大変お世話になりました。深く深く感謝いたしております。頂いた聴力、何倍も活用いたします。本年もよろしくお願いいたします。2008年元旦 Kより。

体験談その3

概要(2006.秋 h さん)

2006年秋に治療を担当させていただきましたxx代男性から治療体験記をいただきました。進行性の難聴を患われ聴力が一時26.5デシベルまで落ち、精密検査にて小型腫瘍(15mm弱)がみつかました。この聴神経腫瘍により平均聴力26.5デシベル、御音明瞭度90%の聴覚低下がありましたが、全摘出、直後から顔面麻痺なし、術後聴力37.5デシベル、御音明瞭度55%で退院されました。その後も1年弱再発なくほぼ同じ状態でおいでです。

1.はじめに(現在の状況)

わたし(手術当時59歳)は、平成18年9月、虎の門病院において右聴神経腫瘍の全摘出手術を受けた。手術は11時間に及ぶ大手術となったが、一ヶ月の入院と一ヶ月の自宅療養の後、会社へ復帰、おかげさまで現在は通常どおりの勤務をしている。 現在の心境は、手術を受けて本当に良かったと思っている、そして、手術を執刀していただいた中冨先生をはじめ、手術に携わっていただいた先生方、看護師ほか関係者の皆様に感謝している。この闘病記は、わたしと同じ病気で悩んでいらっしゃる方、頑張っていらっしゃる方々に少しでも参考になればと思い筆を執りました。

2.発病

その日は突然やってきた。普段と同じように朝、布団から起きようとしたとき、強烈なめまいがきた。数秒間じっとして動けない。そのめまいが治まると後は大丈夫、しかし夜就寝のため横になると、又めまいが来る?早速近くの病院へ行ってみたが、「良性頭位変換めまい症」という診断だった。手術一年半前のことだった。

3.診 断

その後、虎の門病院耳鼻科へ通い始めてからも4~5ヶ月に一度の間隔で、めまいの症状が出たり治まったりということで、たびたびの症状にMRI検査を受けた。結果、12ミリの腫瘍が見つかった。右聴神経腫瘍である。早速、脳神経外科へつないでいただいた。発病から一年後のことだった。

4.選択肢と決断

脳神経外科で、この病気(聴神経腫瘍)の勉強のために渡米し、三年間の期間を終えて米国から帰国したばかりの中冨医師に出会った(わたしはこの出会いを運の良い「運命の出会い」と思っている)。 中冨医師は、この病気のこと、治療方法のこと等、大変詳しく、かつ、わかり易く説明して下さった。治療の選択肢についても、外科的治療と放射線(ガンマーナイフ)治療とがあること、それぞれのメリット、デメリット、合併症等を私が納得するまで説明して下さった。妻と相談し私は惑わず外科手術を選択した。

5.入院

手術日の一週間前、8月28日に入院した。これは手術に先駆けて自己血の採取や脳血管造影検査など各種の検査を行うためだった。正直、こういった検査が結構疲れる。そして手術一日前、執刀医の中冨先生から手術に関する詳しい説明を受ける。これだけ万全を尽くして下されば心配することは何もない。

6.手術日

9月4日手術当日、手術開始時間は午前9時からであるが、病棟を7時50分に出て8時には手術室へ入る。手術室へ入ったところで中冨先生が迎えてくださる。「先生よろしくお願いします」と挨拶すると「頑張りましょう!」と返してくれる、この「頑張りましょう」の一言が、絶対なる信頼と大きな安心感を与えてくれる。

7.手術終了

手術は11時間におよび20時に終了、1時間ほど手術室で麻酔から覚めるのを待つ、SICU(特別集中治療室)へ戻ったのが21時を廻っていた。妻の言によると、SICUに戻った時にはまだ意識は朦朧としており、かろうじて妻の顔と声を認識する。その夜はSICUで看病を受ける。兎に角のどの渇く夜だった!

8.病 棟へ

翌日、9月5日、11時 SICUから病棟へ戻る。よくTVドラマなんかのシーンで出てくるが、手術直後の患者の身体は、いろいろな「管」でぐるぐる巻きである。酸素吸入、点滴、ドレイン、小水、髄液抜き、なにせ管を踏まないようにベッドでじっとしていなきゃいけない。 手術後のMRI検査を受けるためMRI検査室までストレッチャーで運んでくれる看護師さん、手馴れたものである。ドレイン、小水袋、点滴の管を上手にコンパクトにして運んでくれる。うーん、なるほど、なるほど! 通常MRI検査は25分前後であるが、造影剤検査の場合もう少し時間がかかる、さらに私の場合、直後、手と唇の震えがあったため、頚椎もMRI検査してくれたため、さらに時間がかかった。狭いあの空間に40~50分入っているとやはり疲れる。

9.術後一週間

ぐるぐる巻きになっていた管も次の日には、酸素吸入器とドレインが取れる、四日目には小水の管が取れ、七日目には髄液抜きの管が取れて、ほんとに身軽になっていく、あとは点滴の管のみである。同時に術後一週間は翌日のMRI、二日目にはCT検査、血液検査等々、結構忙しい! 八日目に抜糸。この間、毎日朝夕と中冨先生が顔を出して声をかけて下さる、先生の顔を見ると不思議と安心する。

10. 退院

運動不足等から体力と筋力がびっくりするほど落ちる、そのため病院内でも理学療法(PT)や歩行訓練等で体重、体力を増していく。術後丁度一ヶ月、退院の日を迎える、退院前日、中富先生から手術のこと(手術記録DVDを見ながら説明を受ける)、術後のこと、これからのこと等説明を受ける。

11. 自宅療養

自宅療養は一ヶ月、家でも毎日できるだけ規則正しい生活を心掛ける。自宅の周りを歩いてその日の体調をみる。右の平衡神経を失っているためと手術後の縫合跡のこわばりから自律神経が乱れてふわふわ感が強い、これがなかなか辛い!自宅療養中に2回通院したが、右耳の聴力レベルは43.8デシベル、語音明瞭度は60%まで回復している。右耳の聴力は少し落ちても、わたしの左耳は「地獄耳」なのでこれでカバーしよう!

12. 術後半年~1年

わたしは、後頭部縫合跡周辺の頭の固さ、こわばりを表現するのに、“強力なパテックスを貼って後ろから引っ張られる”ような感じだと言っている。面白いことにこのパテックスの強さとふわふわ感の強さには相関関係があり、グラフにしてみると比例しているように思える。術後4ヶ月くらいまでは、後頭部周辺の感覚が鈍い(これは神経がまだ繋がっていないとのこと)が、この時はふわふわ感も小さい、ところが術後5ヶ月~1年くらいになると後頭部周辺の神経が繋がり、感覚が出てくる、「自分の頭」という感じがしてくる、それに伴い固さは和らいでくるものの、パテックス感は逆に強くなり、ふわふわ感も大きくなる。また、右側の首筋のこり、肩こりがひどく、肩甲骨まで達する、特に暑い夏は辛かった! 耳鳴りも週後半や疲れてくると蝉が鳴き始めるが、このような時わたしは、「今の季節は夏だよ」と自分に言い聞かせることにしている!

13. 術後1年半 (現在)

その後、針、灸、マッサージといった理学療法も合わせて試してきた、効けば儲けものと思い、何でも試している。これが効いているかどうか分からないが、最近は後頭部周辺のパテックス感も随分減り、ふわふわ感も小さくなってきている。蝉の鳴き声もだんだん小さく、鳴く回数も減ってきた。肩こり等は今でもときどき辛いときがあるが、以前に比べれば随分良くなった。 耳の聞こえ方も落ち着いてきており、ぼつぼつ近いうち「補聴器」を試してみようと思っている。バランス感覚がもっと良くなるかも知れないと思っている。現在、月一回通院して体調報告、投薬指導等を受けているが、中冨先生は術後も患者の身になって懇切丁寧にフォローして下さるので本当に有難く思っている。感謝、感謝の一言です。今回の手術を機会に「一病息災」の精神で前向きに今後も頑張っていきたいと思っている。 中冨先生、これからもよろしくお願いします。