孫のことでは色入りとお世話になり感謝しております。

拝啓 講習の桜は開花が遅れやっと満開となり今散り始めています。孫のことでは色入りとお世話になり感謝しております。XXの手術の際には先生とお会いしてお話をしたかったのですが、所用のため、失礼いたしました。退院の時にお伺いしたのですが、手術との事、会いできませんでしたが、YY先生からお話を聞きました。今日、XXはZZ家に来ており時折付き添って散歩などをしております。まだ動作にぎこちない面が少しあり、時々頭痛もあるようですが、薄らいで来ているようです。来週から通学する気持ちでいるようです。これからも何かとご面倒をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。講習の煮貝をお送りいたしますので酒の肴にしてください。 敬具

(神経鞘腫の手術をお受けになった10代の患者さんの、祖父より)

中冨先生へ 手術をしていただき二ヶ月以上が経ちました。

現在仕事に復帰し今まで通りの生活が遅れていることにとても感謝しております。一度は手術が難しいと判断された病気を、先生が僕の今後の人生を考え、手術され完治したことで、今の自分があります。術後少し辛い時期もありましたが、先生がなんどもベッドサイドに来てくださり、『週末でベッドに座ってみよう』とか、『少しづつで良いから歩数を増やしていこう』などのアドバイスをいただいたことがとても心強く、それらを守り行動していました。髪が抜けたり、声が出なくても、時間が解決するから心配いらないよとおっしゃり、その通りになって行ったことは、経験豊富なことを再認識しました。約二ヶ月半の入院生活でしたが、7階南は中冨先生をはじめとした先生方や看護師の方々などとても、親切にしていただき、手術前夜も睡眠薬を飲まずにぐっすりと寝られたほど安心していたのを覚えています。今後形は違いますが、先生と同じく様々な人を助け、役に立つことで社会に貢献し、立派な人間になれるよう努力します。先生に出会い、信じ、手術して頂け本当に良かったです。ありがとうございました。お忙しいと思いますが、くれぐれもお体には気をつけてください。

(脳動静脈奇形の手術をお受けになった 20代の患者さんより)

体験談その1

概要(2007.11 月 h さん)

体験談1. 2006年秋に治療を担当させていただきましたxx代女性から治療体験記をいただきました。
中型腫瘍(10-15mm)による聴神経腫瘍により平均聴力32デシベル、御音明瞭度90%の聴覚低下がありましたが、全摘出、直後から顔面麻痺なし、術後聴力37.5デシベル、単語理解の明瞭度85%で退院されました。その後も1年あまり再発なくほぼ同じ状態でおいでです。

経過

005.3.○日 発病「突発性難聴」からMRIで「脳に腫瘍ができています。」と診断が出ました「闘病している母よりも先に死ぬことはできない。母を安心して療養できる施設に転所させることが先決」と考える一方、「病気になる前に、主人と意思の疎通を図っておくべきだった」と後悔しました。虎ノ門病院・耳鼻科にて「聴神経腫瘍」と診断されました。脳外科に回されたら、直ちに手術になり、髪の毛を剃られ後頭部を開頭され、顔面麻痺の後遺症、リスクの高い説明を受けました。耳鼻科の先生とは意思の疎通ができず、自分の病気内容が把握できず、消化不良でした。私は、聴力を全く失うが、リスクの低い耳鼻科の手術を希望しました。「中途失聴者・難聴者の集い」に出席して、手話・読話の経験もしてみました。2006.4.21 腫瘍が大きくなり、とうとう脳外科へ紹介されました。待合室で「医療用かつら」のパンフレットで、どのかつらが似合うのか思案していました。「お待たせしました」とドアを開けてくださったのは中冨先生でした。初対面でしたが、この一年間の不安を一気に話しました。病気についての説明、治療方法を手術映像を用いて、熱心に説明してくださいました。私は初めて、自分の病気がどういうものかを知りました。「手術をするとなると、先生は若いのかな・・・?」既成観念でもっと年齢のいった経験のある先生の方が・・・と考えました。しかし、二回三回と診察を受ける度に、その不安は消えました。手術内容、手術例、手術の件数を説明される先生には自信と熱意を感じました。福島先生(神の手といわれている名医)と、上山先生(福島先生が自分の脳手術を願いたいという名医)に師事されたことに先見の目があると感心しました。セカンドオピニオンをお願いしました。一瞬、先生は真顔になりました(?)。先生に不信感を持っていると思われたのかな(?)。この病気は発症率が低く、専門の先生が少ないこともあり、信頼できる先生だからこそ、直接紹介をしていただきいとお願いをしました。手術に向かって、私自身落ち着かせる為でもありました。名古屋市立大学・耳鼻科の村上先生を紹介いただき、村上先生も中冨先生と同じ見解であり「中冨先生は優秀な先生ですよ」とおっしゃってくださいました。手術に向かって中冨先生は「心配はいらない。大船に乗った気持ちで手術を受けて欲しい」「質問があったら何でも言って、不安を抱えたまま家に帰らないで欲しい」と言ってくださり、不安なことをすべてお話をして、一つ一つ答えていただいて、希望を持って手術に望みました。

2006.10.○日 手術へ

先生の「がんばろう!」の一言を聞いて安心して眠りました。ICUにて麻酔が覚めてきた頃、家族のざわざわした声が聞こえる中、中冨先生の「全摘出、麻痺なし、聴力残し」の力強いはっきりした言葉が聞こえてきました。無事手術が終わったことが分かり、本当に本当に嬉しく、感謝の気持ちで一杯でした!術後はめまい、ふらつき等等の後遺症はありましたが、先生が何度も何度も病室にきてくださったことが、一番心強かったです。入院中、隣のベットの人の一晩中うなされる声で睡眠がほとんど取れなかったので、耳栓を買って着けました。しかし、良く考えてみれば、聴力が残っているからこそ、隣のベットの人の声が聞こえていたのであり、聴力回復を願っているのに何故耳栓をするのか?と思いやめました。

2006.11.○日 退院説明の際、家族と共に私の手術中の映像を見る

こんなにも大変な手術であったことを改めて認識しました。と同時に感動で胸が一杯になり、席を立つことができませんでした。ベストな手術をしていただき、これからは私が回復に向かって一日一日大切に歩んでいこうと思いました。術後一年が立ち、聴力ははっきりと聞き取れないこともありますが、会話はできています。後頭部の筋肉の硬さはまだ残っています。病気の経過と今までの夫婦のあり方、そして母の介護問題が同時に提供され、人との関わり合いの大切さをも痛感しました。まさにこの病気はこの時期に、神様から与えられたものでした。診察中、なぜか先生との会話には笑いが生じてしまい、その中で、満足感と安心感と希望を持って家へ帰ることができました。また、私の家族に「みんな元気?どうしてる?」と気遣っていただき、感謝の気持ちで一杯です!ありがとうございました!!これからも宜しくお願い致します。