日々回復を感じています
お陰で、家族で孫たちと楽しい正月を過すことができました。先生に海綿状血管腫の頭痛出手術をしていただき早くも三ヶ月近くなります。
今は雪の中をを犬と散歩をした、マシーンを使って足踏み運動をしたり、左足の膝下をたたいて刺激を与えたり、リハビリに頑張っております。
左足のしびれはまだ残とありますが散歩は五十歩以上歩けますし、最近は車の運転も始めてみました。初めは頭に 違和感がありましたが、徐々になれて来ております。「カーブス」にも通いはじめました。運動メニューも一通りできるようになりました。生活ものんびりと過ごし、食事に気をつけ、朝
血圧測定ももれず続けております。 今、家族や友人と話をして、以上の健康な体にゆっくりと戻れるうれしさと、喜びを感じて、改めて治療して下さった先生に感謝こめて申しあげます。ありがとうございました。
来る二月十五日に、診察に伺います。 その時・元気になった私の姿を見て頂きたいと存じます。
先生もご多忙の御自愛下さいませ。 一月十八日
(海綿状血管腫の手術を受けた60代女性より)
中冨先生を一番信頼しています
社会復帰も夢ではなくなりました。耳鳴りがもう少し落ち着いたら、酸素治療を受けながら、前向きに就職活動を始めたいと 思っております。 酸素治療今日で10回目です。右耳の聞こえは大分戻ってきたように思います。耳鳴りも少しずつですが、一週間単体で見ると確実に良くなっているのを実感しております。 酸素治療を続けていけば、もっと良くなりそうです! なので中冨先生。どうか、肪耳の聞こえない患者さんの聴神経腫瘍の手術をもうやらないだなんて仰らないで下さい。今回の手術を中冨先生にして頂き、私の中の中冨先生に対する信頼は2倍にも3倍にもなりました。
手術に先生が尽して下さった時間も体力も技術も 術後の検査も、首の点滴も、酸素治療の手配も. 私のために1番良い方法を考えて下さる配慮は 感謝しきれません。それから、傷も目立たず頭も凹んで なくて、傷はやはり気になるので手術の仕方や先生でこんなに違うのかと今日改めて中冨先生すごいなぁ、と 写メールで傷口を見ながら買いました。
あらゆる面で、私が安心してお任せできるお医者様 は、中冨先生以外におりません。
私は、あっち痛いこっち痛いとうるさくてあの検査 イヤ、この検査イヤとわがままで先生にはご迷惑 おかけしていますがやはり痛いのはイヤなので これからも、1番痛くなさそうな方法をよろしくお願い致します。お手紙長くなってしまい申し訳ございません。
くどいですが、中写先生になら、どんな手術で安心してお任せ したいと、私は思っております。不安になったいても先生に 質問すれば、今まで全て解決しました。術後が辛くて ☆先生が色々方法を考えて、手をつくして下さるので、頑張れ ると思います。先生に質問すると、納得いく、わかりやすい 答えが返ってくるので安がします。今回の手術も先生と家族 から説明をきき、とても大変な手術だったけど先生もガッツポーズの大成功、と思いました。耳鳴りは、今治療中なので、退院後は遊ーメールでご報告します。
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先生お元気ですか?
この度は手術をしてくれて本当にありがとうございました。
術後、最初は安定していなかったせいか、音が大きく聞こえて不安でいっぱ 小で泣くこともありましたが、今は大きく聞こえることもなく目がたてない.. たつほど泣いていません。あの時は、せっかく手術していただいたのに、 泣いたりして、すみませんでした。1月8日から、学校が始まります。この分だと学校に行けそうなので頑張って卒業します。また1年半ほどしたら、人工内耳手術の時にお世話になると思いますがどうぞよろしく… お願いします。
今年も先生にとってよりお年でありますように
本当にありがとうございました
(聴神経腫瘍から回復された20代大学生)
I appreciate you so much!
Thank you for fitting me into your busy schedule and made this Complicated surgery a success. I cannot imagine what would happen if I have another neurosurgeon performed my surgery. You are exactly
like what Dr. Mabuchi had described in Japan as the only neurosurgeon that he is comfortable with when it comes to open brain surgery. I have no words to express my gratitude for your warmth and expertise.
Thank you and your team with Dr. Yoshida and Dr. Seiya for taking Such good care of me. I am very fortunate to have you as my surgeon and I greatly appreciate it. sincelyy Yours (2021/5/5)
DEAR DR. NAKATOMI:
I just want to let you know that how much I appreciate your profession and care! Although there are some challenges ahead but I’m sure I could made it this far without the surgery!! Hope you have a nice summer!! (2021/8/13)
(海外から手術を受けにきてくださった C.C より)
先生のおかげで安心して治療を受けることができた
拝啓 残暑御見舞申し上げます。突然のお手紙をお許しくださいませ.私は、(患者さんのお名前)の叔母、(手紙を書いて下さった方)と申します。 甥の診察の際には、同席させて頂いておりました。 その節は、大変お世話になり、誠にありがとうございました。
昨年2月24日、セカンドオピニオンを受けてから今日まで 先生には感謝の気持ちで一杯です。 初めて知る 病名に悩みと不安で押し潰されそうでしたが、 先生の「大丈夫です。心配ありません。」とおっしゃる 力強いお言葉に、心強く支えられました。入院してからは、カテーテルでの塞栓術から17時間 にも及ぶ全摘出手術、疲れていらっしゃるにも拘わらず 私達に説明までして頂き、本当にありがとうございました。 心から尊敬申し上げます。また入院中も御多忙の中、度々病室に様子を 見にいらして頂きましてありがとうございました。 甥は大変喜び、励まされていました。 先生を始め、広島先生、宮脇先生、田中先生 高砂先生、そして看護師の皆様にはとてもお世話になりました。改めて御礼申し上げます。
TS
退院してから半年になりますが、先日のMRI検査では 「画像も何も心配いらない。」と先生がおっしゃって くださったと、甥から連絡がありました。甥は、「先生から頂いた命を大切に生きていき たい」と申しておりました。御恩返しができるよう 頑張って欲しいと願っております。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。 ところで、私の友人が山梨で葡萄を栽培しています。 安心安全な葡萄作りに励んでいます。9月中旬頃になりますが、別便にて送らせて頂きますので、 よろしかったら召し上がってください。御家族の 皆様によろしくお伝えくださいますようお願い申し上げます。先生の御健康を心からお祈り申し上げます。
敬具
平成29年8月30日
(手術をお受けになったお子さんの叔母様より)
あなたは命の恩人です。
今になって、思い出すと、始まりは、飲み込みにくくなり カラオケが歌えなくなった事でした。そのあと耳なりや、咳 鼻のアレルギー症状が出てきました。ところが、騒音がうるさく、塩素タンクの前で働く仕事(鳥肉製造の工場) だった事と、更年期障害の時期と重なった事、それと30才代 から自律神経失調の不定しゅうそで病院に通っていた事が災いして、耳鼻科にかかったり、内科や婦人科から 薬を出してもらったりしていました。 2007年6月に東京の赤坂に就職が決まり、青森 から、東京に出てきました。その頃には、歩くと左に寄ってしまう とか、ごはんを食べると、ムヤでしまうようになって来ました。 その時は、アレルギーか、ヘビースモーカーだからかと思ってい ました。 その後、だんだん、文字が書けなくなるし、地下鉄の階段 で、しりもちをついたり、ちゃんと歩けなくなって来て、外出が 大変になってきました。その頃から、トイレも間に合わなくなっ て来て、夜用ナプキンをあてたりしていました。ごはん を食べると、ムセるのがひどくなって、ローレーツもまわ らなくなって······ 内科の先生に相談しましたが、2~3分 しか会わないので、わからなかったようです。娘と主人が 心配して、頭の検査をするように、言って来ました。東京にまで 出てきて働かなくてはならなくなってしまって、もうどうでもいいような暗い気持だったことも、手伝って、発見が遅れ てしまいました。
やっとMRIの検査の紹介状を出してもらって、検査 に行ったら、検査結果を手で持って帰って、明日にでも 先生に見せなさいと言われました。内科の先生に虎の門病 院の紹介状を書いてもらい、中富先生に出会いました。 主人は、今のままではどうにもならないので、「とにかく早く 手術をしてください。」とばかり言っていました。先生も、心配 いらない「大丈夫です!」と言って下さって、もう手術するしか ないと覚悟を決めるしかありませんでした。選択の予地が なかったのです。不安は、体調の悪い事の方が『大』でした。
手術の日程が決まってからは、ますます症状がひどくなり、 ひとりでトイレにも歩いて行けない、お風呂にも入れない。 転んでむせて、テーブルに吹き出してしまう・・・・ 今になって考え てみれば、オムツをあてて、流動食の寝たきりの状態 と同じです。入院したころは、食事もうまく食べられなくて、娘 が来たら、食べさせてもらっていました。内科の先生がおっしゃるには、脳腫瘍は、手術の際、 危険なので、全部は取ってくれないことが多いとのことでした が、全部きれいに取っていただき、今では、何年も前の私 にスッカリもどり、編み物までもできるようになりました。 手術して3日目に字が書けるようになったのが、一番びっくりしました。東京に出て来て、赤坂に住んで赤坂の病院から虎の門病院を紹介していただき、中富先生に出会えて感謝しています。 自分では探しても見つけられない名医に出会えて、感動しています。自分の運命を、悲観していましたが、私はとても 運のいい人間なのだと思えるようになりました。毎日楽しく暮らさなければいけないと、考えを改めました。中富先生は、命の恩人だと思っています。
本当に、ありがとうございました。
(髄膜腫の手術をお受けになった40代女性)
孫のことでは色入りとお世話になり感謝しております。
拝啓 講習の桜は開花が遅れやっと満開となり今散り始めています。孫のことでは色入りとお世話になり感謝しております。XXの手術の際には先生とお会いしてお話をしたかったのですが、所用のため、失礼いたしました。退院の時にお伺いしたのですが、手術との事、会いできませんでしたが、YY先生からお話を聞きました。今日、XXはZZ家に来ており時折付き添って散歩などをしております。まだ動作にぎこちない面が少しあり、時々頭痛もあるようですが、薄らいで来ているようです。来週から通学する気持ちでいるようです。これからも何かとご面倒をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。講習の煮貝をお送りいたしますので酒の肴にしてください。 敬具
(神経鞘腫の手術をお受けになった10代の患者さんの、祖父より)
中冨先生へ 手術をしていただき二ヶ月以上が経ちました。
現在仕事に復帰し今まで通りの生活が遅れていることにとても感謝しております。一度は手術が難しいと判断された病気を、先生が僕の今後の人生を考え、手術され完治したことで、今の自分があります。術後少し辛い時期もありましたが、先生がなんどもベッドサイドに来てくださり、『週末でベッドに座ってみよう』とか、『少しづつで良いから歩数を増やしていこう』などのアドバイスをいただいたことがとても心強く、それらを守り行動していました。髪が抜けたり、声が出なくても、時間が解決するから心配いらないよとおっしゃり、その通りになって行ったことは、経験豊富なことを再認識しました。約二ヶ月半の入院生活でしたが、7階南は中冨先生をはじめとした先生方や看護師の方々などとても、親切にしていただき、手術前夜も睡眠薬を飲まずにぐっすりと寝られたほど安心していたのを覚えています。今後形は違いますが、先生と同じく様々な人を助け、役に立つことで社会に貢献し、立派な人間になれるよう努力します。先生に出会い、信じ、手術して頂け本当に良かったです。ありがとうございました。お忙しいと思いますが、くれぐれもお体には気をつけてください。
(脳動静脈奇形の手術をお受けになった 20代の患者さんより)
治療体験談
概要(2007.11 月 h さん)
2006年秋に治療を担当させていただきましたxx代女性から治療体験記をいただきました。
中型腫瘍(10-15mm)による聴神経腫瘍により平均聴力32デシベル、御音明瞭度90%の聴覚低下がありましたが、全摘出、直後から顔面麻痺なし、術後聴力37.5デシベル、単語理解の明瞭度85%で退院されました。その後も1年あまり再発なくほぼ同じ状態でおいでです。
経過
005.3.○日 発病「突発性難聴」からMRIで「脳に腫瘍ができています。」と診断が出ました「闘病している母よりも先に死ぬことはできない。母を安心して療養できる施設に転所させることが先決」と考える一方、「病気になる前に、主人と意思の疎通を図っておくべきだった」と後悔しました。虎ノ門病院・耳鼻科にて「聴神経腫瘍」と診断されました。脳外科に回されたら、直ちに手術になり、髪の毛を剃られ後頭部を開頭され、顔面麻痺の後遺症、リスクの高い説明を受けました。耳鼻科の先生とは意思の疎通ができず、自分の病気内容が把握できず、消化不良でした。私は、聴力を全く失うが、リスクの低い耳鼻科の手術を希望しました。「中途失聴者・難聴者の集い」に出席して、手話・読話の経験もしてみました。2006.4.21 腫瘍が大きくなり、とうとう脳外科へ紹介されました。待合室で「医療用かつら」のパンフレットで、どのかつらが似合うのか思案していました。「お待たせしました」とドアを開けてくださったのは中冨先生でした。初対面でしたが、この一年間の不安を一気に話しました。病気についての説明、治療方法を手術映像を用いて、熱心に説明してくださいました。私は初めて、自分の病気がどういうものかを知りました。「手術をするとなると、先生は若いのかな・・・?」既成観念でもっと年齢のいった経験のある先生の方が・・・と考えました。しかし、二回三回と診察を受ける度に、その不安は消えました。手術内容、手術例、手術の件数を説明される先生には自信と熱意を感じました。福島先生(神の手といわれている名医)と、上山先生(福島先生が自分の脳手術を願いたいという名医)に師事されたことに先見の目があると感心しました。セカンドオピニオンをお願いしました。一瞬、先生は真顔になりました(?)。先生に不信感を持っていると思われたのかな(?)。この病気は発症率が低く、専門の先生が少ないこともあり、信頼できる先生だからこそ、直接紹介をしていただきいとお願いをしました。手術に向かって、私自身落ち着かせる為でもありました。名古屋市立大学・耳鼻科の村上先生を紹介いただき、村上先生も中冨先生と同じ見解であり「中冨先生は優秀な先生ですよ」とおっしゃってくださいました。手術に向かって中冨先生は「心配はいらない。大船に乗った気持ちで手術を受けて欲しい」「質問があったら何でも言って、不安を抱えたまま家に帰らないで欲しい」と言ってくださり、不安なことをすべてお話をして、一つ一つ答えていただいて、希望を持って手術に望みました。
2006.10.○日 手術へ
先生の「がんばろう!」の一言を聞いて安心して眠りました。ICUにて麻酔が覚めてきた頃、家族のざわざわした声が聞こえる中、中冨先生の「全摘出、麻痺なし、聴力残し」の力強いはっきりした言葉が聞こえてきました。無事手術が終わったことが分かり、本当に本当に嬉しく、感謝の気持ちで一杯でした!術後はめまい、ふらつき等等の後遺症はありましたが、先生が何度も何度も病室にきてくださったことが、一番心強かったです。入院中、隣のベットの人の一晩中うなされる声で睡眠がほとんど取れなかったので、耳栓を買って着けました。しかし、良く考えてみれば、聴力が残っているからこそ、隣のベットの人の声が聞こえていたのであり、聴力回復を願っているのに何故耳栓をするのか?と思いやめました。
2006.11.○日 退院説明の際、家族と共に私の手術中の映像を見る
こんなにも大変な手術であったことを改めて認識しました。と同時に感動で胸が一杯になり、席を立つことができませんでした。ベストな手術をしていただき、これからは私が回復に向かって一日一日大切に歩んでいこうと思いました。術後一年が立ち、聴力ははっきりと聞き取れないこともありますが、会話はできています。後頭部の筋肉の硬さはまだ残っています。病気の経過と今までの夫婦のあり方、そして母の介護問題が同時に提供され、人との関わり合いの大切さをも痛感しました。まさにこの病気はこの時期に、神様から与えられたものでした。診察中、なぜか先生との会話には笑いが生じてしまい、その中で、満足感と安心感と希望を持って家へ帰ることができました。また、私の家族に「みんな元気?どうしてる?」と気遣っていただき、感謝の気持ちで一杯です!ありがとうございました!!これからも宜しくお願い致します。